「精神障害2級」S男53歳の旅立ち

精神障害2級の弟を持つアラカン姉のブログ

銀河鉄道に乗ったきょうだい

東へ向かう電車のボックス席に座った私と弟は、まるで「銀河鉄道999」のメーテルと鉄郎みたいだと思った。150㎝に満たない短躯でアラカンの私をメーテルに例えるとは何ごとか、と怒るなかれ。状況を例えているだけだ。

実家の母が突然死し、約35年間というもの世の中と最小限関わっていればよかった弟のS男が、取るものもとりあえず家を出ることになった。引越しの道中なのである。

7歳下のS男は「2級」の等級を持つ精神障害者である。トゥレット症と発達障害…知的な遅れはないが、社会経験が乏しく、心は中学生のまま成長していない。そして何ごともキチンとやることができないので、実家に一人きりにしておくことはできない。母の葬儀後、私は平日は仕事をし、毎週末に実家に帰り、S男の食事の用意をし、メチャメチャになった家を片付けた。そんな生活を4週間ほど続けたら、あっという間に2㎏以上痩せた。さて、どうするか?

S男は、高校時代に家を離れた一年とちょっとを除いては、五十年あまりを実家で過ごし、母が一身に面倒をみていた。外出と言えば、月一で精神病院への通院とデイケアに通う以外は、タバコか缶コーヒーを買いに近所に出かけるだけ。

食事は3食母が作り、お小遣いをたっぷりもらう以外に、欲しいものがあれば都度お金を請求する。スマホを与えられてからは、どんなに注意しても、有料アプリをインストールしてしまうので、ついには請求が2万円を超えた。根城にしている8畳と6畳の部屋は、大量の衣類と雑誌、「コレクション」と称するわけのわからない小物類が散乱している。夜寝ながら食べたものを吐いて、汚い部屋にトッピング。タバコを一日にひと箱吸うが、大抵先の方だけ吸って、コーヒーの空き缶に吸殻を詰める。それを、二軒の家の狭間に置いたゴミバケツに放り込む。

その彼の面倒をみる母は90歳になろうとしていた。実家は敷地内に2棟の家屋が建ち、新しい方(3LDK)に母、古い方(4DK)に弟が住んでいた。85歳くらいからか、母はちょっと仕事をしてはリビングのソファに横たわる時間が長くなった。車の運転はしていたが、疲れやすく去年あたりから、脚が痛くて眠れないことがよくあった。S男の世話も食事以外は行き届かないことが増えていたと思う。

私は、実家から電車でおよそ2時間の距離の街に一人暮らし。去年一旦定年退職したあと、嘱託として元の業務をこなしている。

実家の状況を思うにつけ、ため息をつく毎日だった。母のサポートをしたい。でも仕事も続けたい。相反する思いに心が乱れた。

真夏のある日、まだ車を運転した母が、何でもないところで後部をぶつけて凹ましてしまった。ついに私が実家に戻らなければならない日が訪れた。

車を購入して、母やS男の脚となり、家事ももっと手伝う。もう少し涼しくなったら車屋さんに行こうね、と電話で話した。数日後の早朝、母は実家の庭で息を引き取った。誰に知られることもなく。

亡くなった日の夜、母は当然ではあるが掛けた電話に出なかった。翌日早朝、S男が庭石の陰で倒れている母を発見した。もう24時間が経過し死後硬直が始まっていたらしいが、S男が言うにはまだ温かかったとのこと。119の指示に従って、心臓マッサージを行ったとのことだった。

S男のショックを思うと、胸が痛む。その後、病院で出してもらった安定剤を飲むようになった。なるべく薬を増やしたくないが、理由が理由なので仕方がない。

そもそもS男が、全てに対してやる気がない、だらしがないのは、脳内に出過ぎているドーパミンやアドレナリンを抑える薬を長期にわたって服用しているからだ。

彼の病気は「トゥレット症」と「ADHDASD」が複雑に絡み合ったもの。ごく幼少のときから兆しはあったが、母しか気づかなかった。「甘え」「しつけが悪い」とみなされることもしばしばだった。他人からそう思われるのは仕方ないが、家族の中にそういう視線があったのは、後々S男の症状を余計深刻にするに至った原因となったことは否めない。