「精神障害2級」S男53歳の旅立ち

精神障害2級の弟を持つアラカン姉のブログ

罪悪感を持たないように!

一人で実家にいるS男が心配なので、週末になると実家に帰る生活を5週間ほど続けた。

S男はこの先もそんな生活が続いていく、と思っていた。

「平日は缶詰を食べて、週末は姉貴が作ったご飯を食べればやっていける」と言っていた。

私が作った炒飯を一口食べ、納得したように一言、

「うん、うまい。これなら大丈夫だ!」

…「大丈夫だ!」じゃねぇよ。私は君の家政婦でも母親でもない。こんな生活を続けていたら私が倒れてしまうだろうが。(2019年末に子宮ガンの手術をし、その後4ヶ月にわたって抗ガン剤をやってから体力がガクッと落ちた。抗ガン剤もなかなか抜けず、足の痺れ・痛みが結構きつい。QOLが著しく下がっているのだ。)

 

母のいない実家に初めて帰ったとき、母屋のキッチンの床一面にコメ粒がばらまかれていた。炊飯器を使った形跡がある。母屋の勝手口を出るとすぐ、S男が住む家の裏口につながっているのだが、米粒はそこを通って、S男の家のキッチンまでつながっていた。どんな「チルチル・ミチル」?

炊飯器で炊いたはいいが、生煮えだったので、それをさらにフライパン炒めたらしい形跡がある。冷蔵庫の中にその炒飯(?)のボソボソの残骸があった。

それ以降、母屋のキッチンを使うのは禁止した。可哀そうだが、この先、上物付きで母屋を売りに出すため、汚したり傷めたりしたくなかった。

また、ある日は、午後2時頃に母屋にやってきて

「姉貴、パスタ作って!」と言う。

既に12時頃に昼食は済んでいる。母が面倒をみていた頃は、いかなる時間でも食べたいと言えば、すぐ作ってもらっていた。それに、薬を飲むと、食欲に歯止めがきかなくなるようなのだ。私は冷たく答える。

「さっき、お昼食べたでしょ?それに、私はお手伝いさんじゃないのだから、思いついた時に何か作ってと言われても対応できないよ」

S男はうんと小さく呟くと、黙って自分の家屋に戻って行った。その寂しそうな、雨に濡れた子犬のような後ろ姿を見ると、何でもしてやりたい気持ちが湧いてくるのだが、ここで甘やかしてはいけない。これから自立してもらわなねばならないのだから。

夕方になって、S男の家屋に行ってみると、よほどお腹が空いていたのだろう。前の週に私が冷凍庫に入れておいたのを、彼の手で冷蔵庫に移してあったうどんを、醬油だけで煮たらしく、炭化して真っ黒になり、うどんがこびり付いた鍋がガスコンロに置かれていた。

ああ…また仕事が増える…。

 

母は、食の方面ではS男の要求にほぼ応えていたようだ。料理好きだったし。私は、病気してからというもの持久力が皆無になり、仕事から戻ってからの夕飯づくりが大儀になっている。簡単な料理しかしないし、総菜に頼ることもしばしば。しかし、S男に総菜や弁当ばかり食べさせるのも栄養面で不安だ。

S男の危機は私の危機だった。